東京高等裁判所 昭和40年(う)1582号 判決
被告人 宮田日出吉 外一名
〔抄 録〕
論旨は、原裁判所は本件につき公訴棄却の裁判をすべきであつたのに実体判決を行なつた違法がある、というのである。そこで、被告人両名に対する原審の訴訟の経過を記録によつてみると、被告人両名に対しては他の四名の者とともに昭和二五年三月一五日に在宅のまま東京地方裁判所八王子支部に本件公訴の提起があり、その起訴状の謄本は、被告人宮田に対しては同月二二日に、被告人光石に対しては同月二三日に送達されたが(この送達の有無についてものちに争いを生じたが、昭和三七年九月二〇日の東京高等裁判所第八刑事部決定によつていずれも適法な送達があつたものと認められた。)、同年一二月八日午前一〇時の第一回公判期日の召喚状は被告人両名に対しては送達不能となつたので、裁判所はその公判期日を延期するとともに、翌昭和二六年二月一日付で検察庁に対し被告人両名の現在地の捜査を嘱託したところ、その後なんらの回答もないままに一〇年近くの年月が経過し、被告人光石については昭和三五年一〇月一八日、被告人宮田については同月二九日に至つてはじめてその所在についての回答があり、かくして裁判所は翌昭和三六年一月三一日に同年三月三一日午前一〇時の公判期日を指定し、以後訴訟が進行を始めたことを認めることができる。そして、これによると、被告人両名に対する原審公判手続の開始が遅れたのは、召喚状の送達の可能であつた他の相被告人の場合と違つて、その所在が不明で召喚状の送達ができなかつたためであり、裁判所としては検察庁に所在の捜査を嘱託しその回答を待つていたわけであるが、それにしても、一〇年近い年月の間検察庁がその所在の捜査にどれほどの努力を続けたかは記録の上では明らかでなく、あるいは漫然放置してあつたのではないかという疑いもかなり存するところであり、また裁判所としてもその間にその所在捜査を督促した形跡はないのであつて、そこになんらの手落ちもなかつたと断言することができないのは、まことに遺憾だとしなければならない。しかしながら、裁判所としてはともかく被告人の所在が判明しない以上訴訟を進行させることができないのは当然であり、被告人両名に対する公判手続の実質的な開始が遅れた事情は、初めから所在が判明していて公判手続の進行が可能であつた他の相被告人の場合とは相当趣きを異にするのである。のみならず、刑事訴訟規則第六二条によれば、被告人は書類の送達を受けるため書面でその住居を裁判所に届け出なければならないことになつているのに、被告人両名はその届出をせず、それが召喚状不送達の直接の原因となつていることをも考えなければならない(もつとも、被告人らとしてはこの規定による届出義務の存在を知らなかつたかもしれない。しかし、被告人らは起訴前にすでに弁護人を私選し、その助言を受ける立場にあつたのである。)。これらの点をかれこれ考えてみると、被告人両名については、はたして日本国憲法第三七条第一項の規定する迅速な裁判を受ける権利を侵害されたといえるかどうかについても疑問があるうえに、たとえ右の規定の趣旨に反することになつたとしても、それが原判決破棄の理由にならないことは原審相被告人山本博および同小野田啓俊に対する最高裁判所昭和三八年(あ)第一、九九八号同年一二月二七日第二小法廷判決の説示するとおりであるから、論旨は採用することができない。
(新関 中野 伊東)